「バイトテロ」はスポンサーを叩けないマスコミの卑劣な造語
外食チェーン店「大戸屋」で、以前Instagramのストーリーに投稿されたとみられる「不適切動画」が、2月16日に同一のTwitterアカウントから3回投稿されました。
動画には、マスクで顔を隠した人物がズボンを脱いだ状態で局部をお盆で隠したり取ったりする様子のほか、口からプリンを吐き出す様子などが映っていました。
投稿したアルバイト従業員は大阪府の店舗に勤めていましたが、大戸屋は2月18日に解雇処分を発表。大戸屋本社は、
今回の不適切行為の本質は「食べものを粗末にするという、食べもの屋としてあってはならない行為を起してしまった」ことにあり、当社グループの全役員・従業員がこのことを重く受け止めなければなりません。
として、3月12日に原則として国内の全店舗を休業し、従業員への研修を行うと発表しました。
大戸屋によると、スマートフォンなど携帯端末の職場への持ち込みを禁じるほか、業務中の動画の撮影やSNS投稿の禁止、備品を業務サービス外で使わないことなどの誓約を研修で求めるという事です。
回転寿司チェーン・くら寿司ではゴミ箱に捨てた魚をまな板に戻し、カラオケチェーン・ビッグエコーでは唐揚げをフライヤーに入れる前に床に擦り付け、すき家ではお玉を股に押し当て、セブン-イレブンではおでんのしらたきを吐き出す、ファミリーマートではペットボトルの蓋を舐めるなどの「不適切動画」の投稿が相次いでいます。
もちろん、衛生上問題がある行為については労働者が応分の処分を負うべきですが、雇っている側の使用者責任がまったく問われていないのはとても不自然に感じます。
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「バイトテロ」という造語がテレビやネットで独り歩きしています。テロとはテロリズムの事で、過激な武力や暴力によって政権打倒を目指す考え方を示します。
非正規従業員の不祥事に「テロ」とは、本物のテロリズムの恐怖が薄れてしまいます。
マスコミやネットがおかしいのは、バイトだけを糾弾して使用者責任、監督責任のある企業をほとんど批判しないことです。
例えば大戸屋は、飲食店のバイトの中でも仕事量が多く、来客も多いため忙しいと言う声があります。
大戸屋のキッチンの仕事は冷凍食品を使用しないため、やることが非常にたくさんあります。
お盆にセットする係もポジションの一つで、ほぼすべてが定食メニューでありご飯・味噌汁とメイン料理、お漬物、お茶など手際よく1つのお盆に乗せていく必要があります。
この載せる場所も細かく決まっており、ランチやディナーの時間のピーク時は、注文が殺到するので、厨房はパニック状態になることもあります。
また、地方では、大戸屋のスタッフはもともと少ない事が多いようですが、お客さんは外まで列に並んで待っています。
大戸屋ではお店のメニューが半額で食べられる社割があり、それを「賄い」としているようですが、従業員からお金を取る賄いなんて考えられません。
このような理不尽な労働条件が、不満を蓄積させ「不適切」行為に走らせている側面は否定できないと思います。
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労働者が雇用主に抗議したい場合、「争議権」がありますから、ボイコット、サボタージュ、ストライキといった労働争議を行うことができますが、こうした労働者の権利について、義務教育や高等教育で生徒に教えることはほとんどありません。
アルバイトやパートでも有給休暇を取得できる事すら知られていません。
従業員の行為に対する責任の大元は雇用した企業側にあります。
企業にはそのバイトを雇用した責任や、教育、監督する責任があるはずです。
原因をつくったからといって、アルバイトに対して損害賠償等を請求する訴訟を起こすというのは不当です。
企業が自らの責任を転嫁しようとしていると言われても仕方がないのではないでしょうか。
実際に複数の動画の状況を確認すると、周囲に社員などの監督者がおらず、バイトに現場をまかせっきりの時間帯があったことが伺えますが、これは企業側によるコストカットの結果、起きていることでしょう。
言い換えれば、騒動を受けて信頼を落としたのは、そうした非正規労働者に依存しているという構造的問題が原因であって、大元は政府の経済政策のつけが末端に回ってきているだけです。
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テレビなどのマスコミが企業の責任を追及しないのは、明らかにバイトが不祥事を起こした企業が大口のスポンサーだからでしょう。
つまり、政権批判や大企業批判ができないため、そのかわりにお手軽な“バイト叩き”に精をだしているにすぎないのです。
不満を持つ全ての労働者の皆さん、あなたたちは恵まれています。「労働争議」という手段があるからです。
海外から来ている「技能実習生」の方々は、制度上雇用契約を結んでいないため「労働者」ではなく、労働組合に入ることもできず、争議行為も行うことができないのですから。
「バイトテロ」といういろいろな意味で有害な言葉を使わない、読まない、観ないことを実践していきたいと思います。
先進国から中世の王国へ ~実質賃金から見た日本経済の“終わってる”感
周知のように、1990年代以降の日本の賃金はほとんど上昇してきませんでした。
バブル崩壊による景気後退の影響があったとはいえ、欧米の先進国と比較して日本の賃金が低迷を続けていることは明らかです。
日本の実質賃金の下げは国際比較をしてみるとよくわかります。
1997年=100とした場合の「実質賃金指数」で見た場合、次のようなデータになります(2016年現在、OECDのデータを基に全労連作成)。
- スウェーデン……138.4
- オーストラリア…… 131.8
- フランス……126.4
- イギリス(製造業)……125.3
- デンマーク……123.4
- ドイツ……116.3
- アメリカ……115.3
- 日本……89.7
1997年から2016年までの19年間で、先進7カ国のアメリカやドイツでも1割以上上昇しているにもかかわらず、日本は1割以上も下落しています。
日本の賃金が上昇しない原因については、さまざまなシンクタンクやエコノミストが分析していますが、次の3つが大きいと思います。
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労働組合の弱体化
日本はバブル崩壊によって1990年代以降、景気後退を余儀なくされました。
欧米のように、景気低迷に対しては人員カットで対応するのではなく、雇用を維持しながらも賃金で調整する、という方法がとられてきました。
労働組合も、クビにされるよりも給料を下げることに同意し、ここで日本特有のなあなあな労使関係ができあがったといっていいでしょう。
日本の労働組合は、企業ごとに組合が設立されている「企業内組合」が一般的であり、欧州などの「産業別労働組合」とは異なっています。
企業内組合の場合、どうしても経営陣との交渉の中で頭が上がらない、きちんとした行動を起こせないという構造的な弱点があります。
だから、業績が悪化すれば、素直にベースアップの減額にも応じてしまうのです。
例えば、日本を代表する大企業・トヨタ自動車には、トヨタ自動車労働組合という大きな労働組合がありますが、労使協調の言わば“御用組合”であり、争議行動(ストライキやサボタージュ)などは行えません。
そうした現状に不満を持つ従業員が、別の全トヨタ労働組合と言う組合を作る事態になっています。
この組合が機関紙の配布を始めると、会社人事部などが出てきてビラを受け取らないように他の従業員に耳打ち(実際は命令に近い)して、圧力をかけることも行われています。
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非正規雇用者の増加
小泉政権時代に行われた「労働者派遣法の改正」によって、日本の雇用形態は大きく変わりました。
企業は賃金の低い非正規雇用者を雇いやすくなりました。実質賃金低迷の原因の1つとして、見逃すことはできません。
内閣府がまとめた「データで見るアベノミクス」(平成31年1月25日)では、経済政策の成果を大きくアピールしています。例えば、雇用環境の成果として次のような項目が列記されています。
- 完全失業率……4.3%(2012年12月)→2.5%(2018年11月)、25年ぶりの低い水準
- 有効求人倍率……0.83倍(同)→1.63倍(同)、1974年1月ぶりの高水準
- 正社員の有効求人倍率……0.50倍(同)→1.13倍(同)、データ収集以来初の1倍
- 就業者数……6271万人(2012年)→6522万人(2017年)251万人増、5年連続で増加
しかし、新規雇用者数の伸びは、人口減少に対応するために非正規雇用や女性のパートタイマー従業員を増やした結果であり、完全失業率の低下や有効求人倍率の上昇は人手不足の表れといっていいと思います。
粉飾しなければならないほど危機的なのに、何の策も取ろうとしていないところに「終わってる」感が漂っています。
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内部留保を貯め込んで賃金を上げない経営者
バブル崩壊以前は、社員こそ最大の資源、という具合に会社も賃上げに積極的でした。
優秀な人間は、一生をかけてでも育て上げていく、というのが日本企業の大きな特徴だったし、強みだったと思います。
それが、バブル崩壊以後は雇用さえ確保しておけば、賃上げなんていう贅沢は言わせない、という雰囲気に明らかに変わってきました。
2017年度の法人企業統計によると、企業が持つ利益剰余金は446兆4844億円(金融業、保険業を除く)に達しており、金融、保険業を含めれば507兆4454億円となり、初めて500兆円の大台を超えています。
実に1年分のGDPに匹敵する余剰金で、異常です。課税するなどして還元されるようにしなければ、この意味のない剰余金は経済を圧迫するだけです。
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資本主義とは本来、利益の再分配が行われてはじめて成り立つ経済です。
それが機能せず搾取する一方の日本経済、破綻するのは目に見えています。
その要因は、小泉政権での規制緩和を中心とした過去の雇用政策や法改正にあると言えます。
そしてその時に利権で甘い汁を吸った者たちが、今でもその体制を、形を変え守り続けているのが元凶だと思います。
フランスやドイツなどの先進国では、「経済的負担が大きすぎ、デメリットが多い」という理由でオリンピックの招致活動を中止しています。商業イベントですから、儲かるのは企業です。
そんな時代にオリンピックだ、ワールドカップだ、万博だと旗振りをしている日本は、もはや先進国とは呼べないと思います。
国の借金を払うのは国民以外にはいません。皆さんもよく考えてみてはどうでしょうか。
アカデミー賞 ≒ 傑作 ~無冠の傑作たち
日本時間の2月25日朝から、第91回アカデミー賞授賞式が行われます。
花形である作品賞には、「ブラックパンサー」、「ボヘミアン・ラプソディ」、「ROMA ローマ」など甲乙つけがたい作品がノミネートされていて、専門家の間でも意見が分かれる激戦となっているようです。
いわゆる“賞レース”にさまざまな思惑や力関係があることは、皆さんもご存じのとおりです。
今回は、過去のアカデミー作品賞で納得のいかなかったケースを振り返ってみます。
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●市民ケーン(1942年、第14回アカデミー賞)
(原題:Citizen Kane)
「必見」と言われる映画史上に残る名作ですが、作品賞を授賞することはできませんでした。
この年の作品賞は、「わが谷は緑なりき(How Green Was My Valley)」でした(聞いたことない…)。
●卒業(1968年、第40回アカデミー賞)
(原題:The Graduate)
映画を観ていない人でも知っているほど、この「卒業」のエンディングは有名です。
サイモン&ガーファンクルのサントラ盤も有名で、「ミセス・ロビンソン」「サウンド・オブ・サイレンス」は特に映像とリンクして人々の印象に残っています。
しかし、「卒業」も作品賞を逃しました。
授賞したのは、「夜の大捜査線(In the Heat of the Night)」でした。
●大統領の陰謀(1977年、第49回アカデミー賞)
(原題:All the President's Men)
ロバート・レッドフォード&ダスティン・ホフマンのダブル主演と、まさに賞を獲りに行った映画でしたが、作品賞は「ロッキー(Rocky)」でした。
ロッキーはシルヴェスター・スタローン自ら脚本・監督・主演を務めた低予算映画でしたが、人々、特にアメリカに住む人々の心をつかみました。
「勝つことはできないかもしれないが、負けないことはできる」、そんなメッセージがハリウッドの賞レースシステムを覆したのです。
●スター・ウォーズ(1978年、第50回アカデミー賞)
(原題:Star Wars)
世界的な社会現象にまでなったスターウォーズですが、この年の作品賞は、ウディ・アレンの「アニー・ホール(Annie Hall)」でした。
確かにスター・ウォーズは映像表現に革命をもたらしましたが、内容はスペースオペラ(ヒーローが活躍する宇宙活劇)で、過熱するブームが、総じて娯楽性によるマイナス評価になったのかもしれません。
●パルプ・フィクション(1995年、第67回アカデミー賞)
(原題:Pulp Fiction)
時系列をあえてバラバラにした脚本が衝撃的なこの作品は、のちの映画に大きな影響を与えていますが、作品賞は獲れませんでした。
この年に作品賞を授賞したのは、「フォレスト・ガンプ/一期一会(Forrest Gump)」。有名な映画ですが、戦争やジョン・レノンなどの歴史を意図的に書き換えていると批判の多い映画でもあります。
●シックス・センス(2000年、第72回アカデミー賞)
(原題:The Sixth Sense)
霊魂と交流できる能力を持つ少年がキーマンとなるこの映画は、小説でいう「叙述」形式を見事に映像で表現したもので、大きな反響を呼びました。
しかしこの年の作品賞は、「アメリカン・ビューティー(American Beauty)」でした。
●ソーシャル・ネットワーク(2011年、第83回アカデミー賞)
(原題:The Social Network)
Facebookの創業者、マーク・ザッカーバーグの「限りなく事実に近いフィクション」とされる映画。
世界中の人とつながるシステムを作り上げた本人が、誰ともつながれなくて孤独という物語は時代性や話題性、アメリカンドリームの本質などから高く評価されていますが、作品賞を獲ったのは、「英国王のスピーチ(The King's Speech)」でした。
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1990年代後半から2010年代にかけて、アメリカの映画業界を牛耳っていたのは、ハーヴェイ・ワインスタインという大物プロデューサーでした。
この間の受賞作には、彼の意向が大きく働いています。
2017年10月5日(現地時間)、ニューヨーク・タイムズが女優クヴィネス・パルトローがワインスタインにセクハラを受けていたという告発記事を掲載。
これを機に同様の被害者たちが次々と名乗りを挙げました。
ワインスタインは、妻からは離婚を突き付けられ、自身の映画会社ワインスタイン・カンパニーをクビになり、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーの会員資格をはく奪されました。
こうしてようやくワインスタインのいないアカデミー賞が還ってきたのです。
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賞を獲れるのは1作だけですが、映画は、その他すべての99.9%の映画がなければ成り立ちません。
評価の物差しは1つではなく、観る人の数だけあると思います。
その上で、今回のアカデミー賞を楽しみたいと思います。(了)
ジェンダーレスはファッションから!~クリント・イーストウッドとセーラー服おじさん
性別にとらわれずに買い物ができると言う、「GENDER FREE HOUSE」が、有楽町マルイ(東京・千代田)に期間限定(2月16日~3月3日)でオープンしました。
靴やスーツのサイズを幅広く扱い、男性向け、女性向けといった区別を設けない事で、誰でも入りやすい売り場を目指しているそうです。
もともとマルイのPB(プライベートブランド)では幅広いサイズをそろえていて、トランスジェンダー(出生時の性と自身が認識する性が一致しない)の消費者に一定の支持を得ていたとの事です。
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現在、国際的に既存の「男らしさ」「女らしさ」を見直す動きが大きくなっています。
いわゆる「ジェンダー(社会的・精神的な性別)」の問題を考えずには社会が回らない、というところまで来ていると思います。
そのうえで私がこの「GENDER FREE HOUSE」に感じたのは、ジェンダーフリーより、むしろ「ジェンダーレス」と呼んだ方がいいのでは?という事です。
ジェンダーレスは、元来は「社会の役割的な男女の性差をなくそう」というジェンダーフリーと同じ考え方であり、この考え方に基づいた運動・活動のことを指していました。
しかし近年、海外のモデルが両方のファッションを着こなす両性モデルというユニークな現象が起こり、世界のファッション業界で話題になったことをきっかけに、「女性でありながら男性のファッションを着こなすジェンダーレス女子」というようにファッション用語としても新たに用いられるようになったため、「男女の境界がないファッション」という意味も併せ持つようになりました。
ファッション用語の「ユニセックス」は「男女兼用」の意味のため、ジェンダーレスとは異なります。女装や男装とも異なる、新しいファッションのあり方・考え方です。
日本の芸能人では、こんどうようぢさんが人気です。
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このような例を見てしまうと、ジェンダーレスファッションは、「華奢でイケメン」しか許されないような気がしてきますが、そんな事はありません。
私はおそらく年相応の一般的なオヤジですが、レディースのオーバーオールを気に入って、しょっちゅう着ています。
元をたどると、昔からポンチョが大好きでした。
映画の影響でずっと憧れていましたが、実際に買えたのはレディースのポンチョだけでした(それでも気に入って着ています)。
街で見るのも女性が来ているポンチョばかりで、私のようにポンチョを着た男性を見たことはありません。
必然的にレディースコーナーへ行く事が増えます。
ファッション売り場は、体感9割がレディースです。当然お洒落なものもレディースなことがほとんどでした。
特に私が気に入ったのがチュニックでした。
これはとてもお洒落かつ個性的で、ずっと憧れていました。
しかし、「チュニックは女性が着るもの」という呪縛に囚われ、心に霞がかかったようなグレーな気持ちを抱え続けてきました。
そんな気持ちの転換点が、この記事でした。
「セーラー服おじさん」こと小林さんのインタビューを読んで、私の心は解放されました。
「好きな服を着ていいんだ」という確信が持てたのです。
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ファッションは自立です。
自分で服を選び、組み合わせ、外に出る。自己表現と言えます。
ジーンズやスニーカーのブランドには若干こだわりますが、単体で数十万円もするような高級ブランドにはまったく関心がありません。
まだ季節的にチュニックは探していませんが、今でも人からは「おしゃれ」「できそうでできないファッション」などと言ってもらう事があり、少なくとも自立はできているのかなあ、と思っています。
ファッションが変われば、不思議と考え方も変わってきます。
もっと好きな服を選べるよう、売る側もビジネスとして機会損失が広がらないうちに、どんどんジェンダーレスな店舗を増やしてほしいと思います。(了)
「奨学金という名のローン」~若者を蝕む少子化の元凶
今、学生が一番集まるイベントは、学園祭ではなく奨学金説明会です。
奨学金とは、経済的理由により修学に困難がある優れた学生に貸与されるもの。また、卒業後返還された奨学金は、後輩の奨学金として再び活用されます。
奨学金を利用する大学生の約8割が使っているのが日本学生支援機構です。
1990年代半ばまでは少数だった奨学金利用者は、今や大学生の半数を超えました。
日本の奨学金制度の歴史をかんたんに振り返ってみます。
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●育英会創立(1943年)
当初の名称は「財団法人 大日本育英会」。この頃の奨学金は、無利息での貸与でした。
第2次中曽根内閣で、奨学金の有利子化法案が国会を通過しました。
全面有利子化の流れがありましたが阻止され、現在のような無利子と有利子の2本立てとなりました。
●育英会の廃止を示唆(2001年7月)
●育英会廃止(2001年12月)
小泉内閣の「骨太の方針」の一環として公益法人の制度改革が行われ、日本育英会も廃止されることが決定しました。
●日本学生支援機構設立(2004年4月)
文部科学省所管の独立行政法人として、独立行政法人日本学生支援機構が2004年4月1日に設立されました。
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こうして見ると、無利子→有利子→育英会>学生支援機構という流れがはっきりしてきます。
日本の高等教育への予算は、OECD(経済協力開発機構)平均の半分以下(GDP比)。
ゆえに大学の学費は上りつづけています。
1970年に1.6万円だった国立大学の初年度学費は、2010年には81万7800円に。一方で、世帯年収の中央値はピークだった1998年から100万円も下がり、必然的に奨学金がなければ子どもを進学させられない家庭が増えました。
1984年に有利子の奨学金導入をした際、「無利子を補うもの。財政が好転したら廃止も検討」という付帯決議がつきましたが、イザナギ景気越えと言われる好景気らしい現在も、有利子奨学金の廃止はまったく検討されていません。
無利子枠の希望者は近年、毎年2万人ずつ増えていますが、2009年には無利子希望者の78%が不採用、つまり奨学金を受けることができませんでした。
さらに教職に就いた場合の返還免除制度は1998年に廃止、大学の研究職についた場合の返還免除制度も2004年に廃止されました。
しかし最大の問題は、2007年度から民間資金が導入され、金融機関が奨学金で儲けていることです。これはもはや「貧困ビジネス」ではないでしょうか。
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中京大学の大内裕和教授によると、
と言います。
返還が不安で借りる額を抑えたり、奨学金を使わない学生もいますが、不足分を埋めるために、バイト漬けの学生生活を強いられます。
これが劣悪な労働条件でもバイトせざるを得ない「ブラックバイト」問題につながっています。
大内教授のゼミ生の半数は「返還だけならなんとかなる」と答えましたが、そこに子育てを加えると全員が「無理」と言ったそうです。
司法書士の中には、
今の奨学金の制度が、このようなゆがんだ制度になってしまっている以上、私たちが身を削ったり、人生を棒に振ってまで、返済を優先することはないのです。
と、奨学金の返済が困難な場合の債務整理を積極的に請け負っている人もいるほど、現在の支援機構による「奨学金」制度は悪質です。
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世界の奨学金は原則給付です。返還が問題になる奨学金というのは、世界的にはきわめて例外なのです。
アメリカでも70%が給付です。大内教授がニューヨークでこの問題を話した時、「それは奨学金ではなくローンだ」と言われたそうです。
これが常識的な見方なのです。
返済に追われれば、まず結婚できないし、出産・育児はますます不可能になってしまいます。
少子化対策というなら、まずは、
- 返せない人にさらなるペナルティを課す延滞金制度の廃止
- 無利子枠増加と給付型奨学金導入
をすぐに実行すべきでしょう。
そして、最終的には、世界標準である給付型のみの奨学金制度にすべきです。
もともと無利子で始まったのですから、あるべき形に戻すことが必要だと思います。(了)
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マルクスは生きている ~思考停止から抜け出そう!
2月16日、ロンドンのハイゲイト墓地にある、経済学者カール・マルクスの墓碑に、「憎悪の教え」「集団虐殺の立案者」などと赤いペンキで落書きされているのが見つかりました。
この墓碑が荒らされるのは、今月に入って2度目だそうです。
Vandals back at Marx Memorial, Highgate Cemetery. Red paint this time, plus the marble tablet smashed up. Senseless. Stupid. Ignorant. Whatever you think about Marx's legacy, this is not the way to make the point. pic.twitter.com/hGKBMYGWNy
— Highgate Cemetery (@HighgateCemeter) 2019年2月16日
マルクスは、ドイツの共産主義思想家・運動家で、いわゆるマルクス主義の祖。
マルクス主義は、エンゲルスとともに打ち立てられた理論で、資本主義社会をブルジョアジー(ある程度豊かな都市市民層)とプロレタリアート(労働者階級)の対立としてとらえ、プロレタリア階級の勝利によって無階級社会 を実現していかなければならないとする思想です。
ちなみにエンゲルスはマルクスの盟友で、ご存知「エンゲル係数(1世帯ごとの家計の消費支出に占める飲食費の割合)」で知られるエンゲルの法則を発表した人です。
※2017年度の日本の総世帯におけるエンゲル係数は、25.5%です。(総務省統計局)
マルクスの墓碑には、「万国の労働者よ、団結せよ(proletariërs aller landen, verenigt U!)」という、『共産党宣言』の一文が刻まれています。
しかし、マルクス主義と言うと「社会主義」「共産主義」が連想され、かつてのソヴィエト連邦(ソ連)や共産圏で行われてきた虐殺、独裁、強制収容所と言った負のイメージがあまりに強いため、かつては聖書の次に多く読まれていると言われた『共産党宣言』も、見向きもされなくなっている現状があります。
だが、今の社会で「マルクスは何を言ったのか」「どんな社会を目指したのか」を正しく知ることはとても重要だと思っています。
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マルクスの主著『資本論』には、たびたび「階級闘争」という言葉が出てきます。
『資本論』は、商品化されたプロレタリアートの労働力(労働力商品)が安く買いたたかれ、搾取されていく現実を分析したものです。
これは今も変わっていません。
一般に混同されているのが、社会主義と共産主義です。両方とも同じで悪いもの、と思われています。
それが現れているのが冒頭の墓碑への落書きですね。
社会主義= Socialismでsociety(社会)からきています。資本主義で封建制度が崩壊し、自由となった社会というのはいたって不安定です。その混乱した社会をさまざまな形で規制していくのが社会主義です。
それに対し、共産主義= Comunismはcomune(共同体)がもとの言葉。ですから、財産を共同化することが共産主義というのが一般的な解釈です。
つまり私有財産というものがなくなり、共同体みんなの財産になります。
マルクスは、社会主義は共産主義の最初の段階と考えていました。社会主義は資本主義が抜け切れていない状態です。
たとえば、社会主義は資本主義のように個人の能力に応じた給与をもらいます。この二つは「平等な社会を目指す」という意味で同じ社会に向かっていますが、ソ連などの国々はまだ社会主義であって、共産主義に至っていませんでした。
ソ連や東欧は所有を国有化するということで、所有の社会化を図りました。ソ連の場合は全面的国有化といって、企業も土地も国のものにしてしまいました。(旧東ドイツや東欧は土地の国有化まではしていません)
しかし、社会化と国有化は全く別のもの。全面的国有化は共産党の独裁を意味します。これは私有と同じで、国家が企業になったと考えると簡単です。
私の考えでは、今まで社会主義国家はいくつもありましたが、「共産主義国家」はひとつも誕生しないままだったと思います。
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マルクスは、資本主義システムを徹底的に解析し、そのシステムが永遠には続かない、つまり「資本主義の終焉」が来ることを予言しています。
これまで、資本主義社会の経済成長というものは無限に続く、と信じられてきましたが、1929年には世界恐慌が起こり、2008年にはリーマンショックが起きました。
世界一の超大国アメリカでさえ、借金のため毎年予算案が可決されず、行政機能が停止するのが恒例になっています。
数年前ベストセラーになった『21世紀の資本』(みすず書房)という本の中で、トマ・ピケティは、資本主義経済が最終的に貧富の格差を広げる、と主張しました。
独り勝ちした企業以外が崩壊していくのだとすれば、資本主義は我々が選ぶべき制度でないのではないでしょうか。
昔は、ものが売れなくなったら新製品を売れば、経済成長は回復しました。たとえば、車や飛行機など高値で大量に売れるものを新しくつくれば良かったんですね。
さらに、家電製品などでおなじみの10年ほどで商品を使えなくする法が作られました。ところが、現代になって大量生産・大量消費が環境破壊につながるという問題が生じたのです。
マルクスが私たちに伝えていることは、今の資本主義社会だけが選択肢ではないということです。こんなに貧困で不幸になるよりは、別のシステムの世界があるということを考えれば、未来が開けるはずです。
それがどんなシステムなのかは、私にはまだ分かりませんが、マルクスを読むことで今の社会を分析することができると感じています。
2018年には、マルクス生誕200周年を記念したユーロ紙幣が発行されるなど、その影響は今も色あせていません。
―自らの道を歩め。他人には好きに語らせよ。―
一度マルクスへの考えを語ってみたかった自分を駆り立てたマルクスのこの言葉を、皆さんへも贈ります。
韓国のナプキンCMから考える、「生理」のタブー
2016年、イギリスのブランド「ボディーフォーム」によって、青い液体ではなく”赤い血”を使った生理用ナプキンの広告が初めて公開されました。
生理をタブー視する世界的な文化のなかで大きな注目を浴びました。
そんな動きを受けて、文字コードの国際規格管理団体「ユニコードコンソーシアム(Unicode Consortium)」が2019年にリリースする59種類の新たな絵文字は、車椅子に乗った人や補聴器をつけた耳、盲導犬の絵文字、そして生理中の女性を表現する「血液」など、多様なラインナップとなりました。
これらの絵文字は、2019年9月〜10月にスマートフォンなどのデバイスで使えるようになる予定とのことです。
そして、韓国の生理用ナプキンブランド「natracare(ナトラケア)」は、生理を真正面に扱うCMを2018年11月から相次いで公開しています。
「”その日”は爽快でも、輝きもしない。実は何もしたくない日が生理の日」としていて、このCMに対して韓国では「広告を見て感動した」などの賞賛の声が集まっています。
[나트라케어 2018 캠페인] 아무것도 하지 않아도 괜찮아, 그것 또한 너의 선택 (Full ver.)
その日も自信をもって白い服を着てください
その日も立ち止まらないでください
その日も心配なく眠りについてください
その日も仕事に集中してください
その日も私たちは輝かなきゃいけないから
軽やかな言葉に反して女性たちは憂鬱そうな様子で、前半に登場した女性たちが「痛くてイライラする」「不安だ」「絶対に爽快じゃない」「何もしたくない」「それが生理だ」と語っています。
また、別のCMでは、
내 몸을 위한 가장 중요한 결정은? 나트라케어👍 (feat.DADA Studio)
これは、生・理・帯(生理用ナプキン)広告です。
え?生理ナプキンと言うのが恥ずかしいですか?
ちょっと!
生理は女性が1年で実に65日もある、とっても自然で日常的な出来事でしょう。
生涯使うナプキンは約1万6000個。
ナプキンに使うお金だけでも、なんと600万ウォン。
生理は青い血でもなく、白い服を着て跳ねる日でもないです。
普段の生活用品よりずっとたくさん使うナプキン。
だから今、このナプキンの広告も、これ以上言う必要はないでしょう。
ありのままに、正直に、しつこく見てみましょう。
と話し、ナプキンをカッターナイフで切ったりマッチで火を点けたりと、まさにタブーを「切り開いて」います。
「ソウル経済」によると、「ナトラケア」は「非現実的な既存の生理用ナプキン広告への女性の反応が否定的な点に着目し、女性の心を率直に代弁するナプキン広告を企画することとなった」とし、「既存の広告では生理を”その日”と表現したのとは違って、広告としては初めて”生理”と表現した点で大きな意味があると思う」と説明したそうです。
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インドなどでは、月経中の少女を家畜小屋に放り込むなど生理に対する理解がなく、強い偏見のなかで、初潮が始まると学校に通うことができなくなる少女もいます。
2018年8月には、インド南部のある中学校で、女性教師が経血を漏らした12歳の少女を激しく叱責し、それが原因で少女が命を絶つという悲しいニュースがありました。
これは「インドだから」と言うわけではなく、日本でも似たような価値観が根強くあります。
1994年にはテレビドラマ化もされたマンガ『夏子の酒』(尾瀬あきら)をご存知の方もいるかと思いますが、主人公・夏子の祖母をメインとした前日譚『奈津の蔵』では、杜氏(造り酒屋)に嫁入りした奈津の苦闘の日々が描かれています。
作中では、当時の理不尽な悪習や閉鎖的な村に苦しめられるのですが、象徴的なのは、「女性は蔵に立入禁止」というしきたりです。
酒蔵の家長の妻なのに、その酒蔵に入ることができない。当然奈津は夫に詰め寄りますが、夫の答えは「女の血は穢れているから」と言うものでした。
「穢れ」というのは日本古来からある神話から来る考えで、宗教的な意味合いが強いです。
醜聞まみれの政治家が、「禊(みそぎ)は済んだ」と言って復帰したりしますが、禊とは、穢れを清めるためにする宗教的儀式です。
「穢れ」に基づくさまざまな差別が今も根強く残っているのが、日本の現状です。
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日本の生理用品のCMは、今は青い液体状のものが使われていますが、すぐにそんな時代は終わると思います。
現代社会において、ジェンダーの問題を抜きにして生活することは難しくなっているからです。
日本は、一部の人たちが蔑んでいる中国や韓国よりずっと遅れている文化後進国であるという現状を、直視する必要があるのではないでしょうか。