映画・音楽・本、そして政治オタク

何と言われようが、書きたいことを書こう。あなたも。

洋画の安易な“邦題”から見える、日本映画業界の劣化と終幕。

結論から言えば、

作品を尊重せず興行収入のみを優先するのなら、
そんな日本の映画ビジネスは無くなっちまえ

ということです。

洋画を日本で公開するにあたり、多くの映画人が頭をひねってきました。
雰囲気を損なわず、それでいて分かりやすく……。

そんな苦闘の中から、

風と共に去りぬ
(原題:Gone with the wind

f:id:toshiyuki-terui:20190118140311p:plain

 

アパートの鍵貸します
(原題:The Apartment)

f:id:toshiyuki-terui:20190118140423j:plain

と言った名タイトルが生まれました。
直訳にもセンスが表われるものなのです。

しかし、近年、まるでこうした努力を感じさせない安易な邦題が増えているような気がします。

例えば、ゼロ・グラビティの原題は「Gravity」。

ピクサーのCGアニメリメンバー・ミーの原題は「Coco」です。

「重力」だけじゃどうしようもないのは分かりますが、これだけはいかんと思います。
Cocoは主人公の祖母の名前。
内容と関係なく、語感だけが優先されていますね。

原題から大きく変更された邦題を「わかりやすくてよい」とするか、「作品の本質を損ねている」と捉えるかはもちろん主観によりますが、「わかりやすい」ことと「考えるのを放棄する」ことは明らかに違います。

*  *  *  *  *

2017年の『ドリーム』(原題:Hidden Figures)に関しては、一悶着あって、配給会社の20世紀フォックスは、一旦は邦題を『ドリーム 私たちのアポロ計画』として日本公開をアナウンスしました。

しかし劇中で実際に描かれるのは「アポロ計画」ではなく「マーキュリー計画」(初の有人探査飛行)であるとの指摘がSNS上でなされ、映画ファンを中心に批判が続出し、これを受けて『ドリーム』に変更されたという経緯があります。
その際の配給会社の言い分は、以下のようなものでした。


「映画の内容としてはマーキュリー計画がメインであることは当然認識しています。その上で、日本のお客さまに広く知っていただくための邦題として、宇宙開発のイメージを連想しやすい『アポロ計画』という言葉を選びました」

つまり、「どうせ日本人には区別つかないから、アポロにしときゃいいよ」ということです。

f:id:toshiyuki-terui:20190118141942p:plain

====================

上映決定権を握っているのは劇場で、劇場がわかりやすい邦題を望むから、配給会社はその意向に従っているだけというのが宣伝マンの言い訳です。

考えること、真摯さを放棄したものは衰退していくだけです。

「反知性」が文化をも蝕んでいるのは、非常に危機的な状況です。

日本はどんどん取り残されて行っているなあと感じますね。